みそのちから

みそのちから 歴史と伝統を受け継ぐ

伊達政宗公が発展させた仙台みそ

伊達政宗公は藩内の農業・産業・文化の振興に尽力した人物として知られています。運河を整備し、農地を開拓したことで、仙台藩は肥沃な穀倉地帯をかかえることとなりました。また、城下町に各地より招聘した商人や職人、知識人を住まわせ、藩の産業と文化の発展に努めました。戦国時代より、味噌は兵糧としても非常に重要視されていた食品。寛永3年(1626年)、政宗公は御塩噌蔵と呼ばれる日本初の味噌工場を建造します。こうして大々的に仙台みその醸造が始まります。


仙台味噌発祥の地 碑文

伝統の技と品質

御塩噌蔵を建造した政宗公は、真壁屋古木市兵衛を御用味噌屋に登用して、仙台みその品質の向上を図らせました。真壁屋古木市兵衛を筆頭とする味噌醸造業従事者たちは、「味噌仲間」を結成、「味噌屋仲間掟留帳」を作成し、原料の配合比率や製造方法、価格の決定に至るまで、厳しい仙台みその基準を管理し技術と品質を守りました。こうして四季を通じて変質しない、良質の仙台みそが誕生し、やがてその味は一般庶民へ、全国へと広まっていきます。掟留帳は明治の初めまで藩の管理下に置かれ固く守られていました。近代化した工場で仙台みそが製造されるようになった現代でも、ジョウセンは伝統の配合や製法を守り、今日もみそ造りに励んでおります。


味噌屋仲間掟留帳

ジョウセンはほんものひとすじ。伊達政宗公の頃よリ受け継がれた伝統の技術と、東北の豊かな風土が生み出す自慢の味、「本場仙台みそ」を皆様にお届けします。

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